2006/03/21

崇高な精神

 本当はもう寝てしまいたいのだが、酔いに任せてちょっと書いてみる。昼間に会社で読んだ愛と平和:イチローはネット右翼?について思ったこと。

 イチロー選手の発言が、また物議を呼んでいるようです。


「向こう30年は日本には手は出せないな、という感じで勝ちたいと思う」

これ位の気持ちで臨もうという意志の表れであり、チームリーダーとしての責任感も汲み取れます。でも、ちょっと"ネット右翼っぽい?"と思ってしまったのは私だけでしょうか。その変わり様も、感情表現の仕方もどこか稚拙で、とても酷似したような印象を受けてしまいました。

「今日負けることは、日本のプロ野球に大きな汚点」
「野球人生で最大の屈辱」
「本当にしゃくにさわった」

これは韓国チームに対する、イチロー選手の発言です。
スポーツ選手ですし、今はアメリカが職場ですので、言葉(日本語)の使い方に疎いのかもしれませんが、「辱しめ」「汚い」という字は普通の感覚であれば用いないと思います。マスコミと距離を置いている理由が分かった気がします。

 イチローが「言葉(日本語)の使い方に疎い」のではない。可憐さんが「日本人」或いは「日本人であること」に疎いのだ。

 今月のスカパーのガイドにイチローのインタビューが載っていた。収録されたのは「30年」発言の前だろう。彼は同胞である日本人選手にも、こんな強烈なメッセージを発している。

 「(中略)WBCは最高の舞台。(出場を)拒む理由がない。ケガが怖いと言うのも僕には考えられない。ケガしてダメになったとしたら、そこまでの選手なんですよ。」

 「『応援よろしく』というのは一番嫌いな言葉。応援したくなるようなことをするのが僕らの仕事でしょう。日本チームにそんな甘っちょろいことを言う奴がいないことを願っていますよ。もしいたら、僕は出場を辞退する(笑)。目標?もちろん世界一です。」

 確か、イチローがこの手の発言をするのは初めてではなかったと思う。要するに、彼の自論なのだ。この発言でカチンとくる日本人選手は少なくない筈だ。でも、彼は意に介さない。それは、彼の中に確固たる信念があるからだろう。

 イチローの発言を捉えて「思い上がり」と判断する人もいるだろう。でも、それは正しくはない。「思い上が」ってしまう人は往々にして実力が伴わないが、彼の実力は万人が認めるところだ。彼の発言は、類稀な才能を持ち誰よりも努力してきた人が、他人にもその高みを求めるものなのである。

 そして彼のその「高みを求める」という生き方は、日本人が(実際にできるかどうかは別にして)理想とする生き方でもある。様々なものに「道」を求めるストイックな民族性。だからこそ、ひとつの方向に突っ走ってしまう危険も孕んだ民族性。

 彼の人気は、その求道精神によるところも大きい。武士道にも通じる、その崇高な精神。「日本人であること」とは、そのような崇高な精神を持つ、又は持ちたいと願うことだろう。「言葉(日本語)の使い方に疎い」のではなく、彼はあまりに日本人なのである。彼がアメリカでプレーしていることも、彼のその部分を際立たせる一因ではあるだろう。海外でこそ、自分のアイデンティティーを求められるのだから。

 可憐さんに聞きたい。日本のマスコミが総じてスルーした、韓国人選手・観客のイチローを始めとする日本人選手たちへの恥ずかしい行為をどう思うのか。知らないなら検索してみればいい。捏造だと思うなら複数のサイトで検証すればいい。イチローの崇高な精神と比べて、なんと幼いことか。


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2006/03/05

久しぶりに

 久しぶりにコメントを付けてみた。愛と平和:大人ニート - livedoor Blog(ブログ)#comments#commentsに対して。極論さんによると、ついに「コメントの事前検閲」が始まったらしいので。私のコメントは以下の通り。

言葉は自分に返ってきます。


このブログがこのような状況になったことを、管理人はどう考えていますか?書き込む人が悪いのですか?2ちゃんねるが悪いのですか?そうじゃないことはもう判っているでしょう。

大事なことは「人のせいにしない」「社会のせいにしない」ことだと思います。

 記入したのは2006/03/05/10:32、ずっと反映されなければ削除されたことになる。果たしてどうなるか。


 事実、「愛と平和」は酷い状況である。既に、何を書いても批判的なコメントが多数を占めてしまう。その瞬間だけ切り取れば、書き込む人が悪いと考えることも出来る。

 でも、最初からそのような状況だった訳ではない。それが何故今のようになってしまったのか。原因は色々あるが、それに対して取るべき対処法は管理人自身が3月4日エントリーで語っていることである。

 そしてそれを実行するには、管理人自身がそのちっぽけな自尊心を捨てる必要がある。それが出来るかどうか。出来るならすでにやっているとも思えるが...


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2006/01/09

先生、大丈夫?

 先生、大丈夫?思わずそうつぶやいてしまうようなエントリーが。

リンク: Annex de BENLI: 運行供用者の匿名性が保障された自動車.

 いや、何と言うか、その...あまりにも滅茶苦茶な論理だろう。既に他の方々によってコメント欄で論破されているが、先生は本気で書いているのだろうか。

 先生はネット社会を自動車に例えているが、例えば「オグラ商会」と大きく書かれた営業車があったとして、他の車を止めてドライバーの名前を聞く権利は無い。交通違反をしていれば警察に届けるだろうが、それはネットでも既に同じことだ。交通違反でない「マナー違反」になると、「マナー」自体人それぞれな所もあるし、たいていは「マナーを知らない奴がいるなあ」とスルーしてるんじゃないだろうか。ノロノロ走る奴、割り込む奴、考えれば色々あるだろう。

 普通に走行している限り、ドライバーは皆匿名である。違うと言うなら、街を走る車の持ち主を全て言い当ててみろ。ナンバープレートを照会すれば判るというなら既にネットも同じ環境にある。法律を犯せば罰せられるのだ。

 ネットにおいて匿名であることは勿論罪ではないし、批判的なコメントも基本的には罪には問われない。見るに耐えないものや偏執的なものもあるが、犯罪とするには線引きが難しいだろう。組織的に自分を貶めようとしているという先生のいつもの論理はただの被害妄想でしかない。とすれば、運転しているときと同じようにスルーするのが現実的というものだ。

 先生の論理で言えば、街を走る車は皆持ち主の名前と住所、電話番号等の個人情報を車体に大きく書かなければならない。それがどんなにおかしなことか、普通少し考えれば判るだろう。本当に、先生は大丈夫だろうか。


*ナンバープレートから個人情報を得るのは通常難しいだろうという前提で書いてます。例えば街で見かけただけの(何も犯罪を犯していない)車のナンバーを警察に電話しただけで簡単に個人情報が引き出せるというなら、上記エントリーは思いっきり破綻します。そのときはお詫びして訂正しますので指摘してください。常識としてそんなことはないだろうと思うのですが。


*平成18年1月10日22:55追記:コメント欄でも指摘されていますが、先生は前提条件を故意に混同しています。事故でも何でもなく、例えば「あの車を運転している女の人綺麗だな」と思ったストーカーはその車のナンバープレートから女性の住所氏名電話番号を知り得るのかというのがこちらの疑問ですから。また、仮にそれが「できる」のであれば、それはそれで問題でしょう。


*平成18年1月11日22:55追記:トニオさんのご指摘により、エントリーを全て取り消しました。よく調べず憶測で書いたことについて謝罪致します。本当に申し訳ありませんでした。


*平成18年1月11日23:35追記:実は今日、国土交通省に電話して聞いてみました。トニオさんのご指摘通り「法律で決まっている」ので「申請されれば教える」との事でした。但し、「登録事項等証明書」の本来の目的は「民事登録の公開」のためであり、要するに車の場合一番最近の持ち主が誰かを証明する書類がそれしかない(車検証はあてにならない)ので交付されるんだそうです。リコール対策なんかにも使われるらしいです。

よって、この制度ができたときには「個人情報を得るために利用する」なんてことは想定されていなかったようです。最近になってこれが問題になり、申請者の本人確認を実施するようになったと。よって国土交通省と警察庁連名による「お知らせ」には「個人のプライバシーを侵害する等違法な目的に使用することが明らかな場合は交付することはできません」と書かれています。

でも、「私はプライバシーを侵害します」なんて宣言する馬鹿はいないですよね。よって、マイケルさんが書かれたように、ストーキングに利用される可能性もある訳です。国土交通省の方は「本来の目的と違う使われ方をされているという指摘がある」「ストーク(という言葉を使われていました)や商売に使われる可能性もある」「現状の法律ではそういった問題に対して事後にしか対応できない」と仰っていました。要は、現実に法律が追いついていないのです。

そして、国土交通省内でもこのことには危機感を持っており、検討課題に入れているとのお話でした。制度を無くしてくれという要望も多く、実際に議論もしていると。ただ、本来の目的まで損ねてしまうことにもなるのがネックのようです。それでも、近い将来国会に改正法案が提出されることもあり得るよ、ということでした。

という訳で、このような法律を担保にして何かを語ると言うのは、やはりおかしいと感じてしまうのですが。如何なものでしょうか。また、私の「常識」もあながち間違ってはいないように思えます。

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2005/12/04

「愛と平和」には愛も平和も無かった

 ついにコメント欄閉鎖へ。愛と平和には愛も平和も無かったのか。今後はトラックバックのみ受け付けるらしい。

 あんまりコメントを書かない私が、このブログには何度か書かせて頂いた。といっても、何日かに1回というレベルで、レギュラーの皆さんの頻度には遠く及ばないが。書いている内容も、最後は「もっと自分の考えを説明してください」というものだった。

 とにかくこのブログは偏っていた。思想が、ではなくブログ主の情報源が、だ。エントリーを見てもらえば判るが、どれも中学生ぐらいの女の子が授業で教わったことだけでしゃべっているように見える。私はブログ主の正義感は疑っていない。「愛と平和」も本気なのだろうと思う。惜しむらくは、幅広い情報とそれを咀嚼する知性が足りていないのである。

 これを私は「無垢さ(純粋さと幼さの同居)」と称した。そして、「いつまでも子供ではいられませんよ」とも。ブログで政治や事件ネタを取り扱い不特定多数に己の考えを伝えるのなら、情報を広く集めて自分の考えを醸成させることが必要である。何も難しいことではない。色々な物を見て、聞いていれば自然と身につく程度のことだ。結局、「もっと色々な物を見て、聞いて、読んで、御自分の感性を育ててください」という私のコメント&トラックバックには回答をもらえなかったが...

 更に悪いのは、ブログ主がコメントに対して真摯に向き合わなかったことだ。要は逃げたのである。これも子供だからと考えれば納得はいく。どう答えてよいかわからなかったのだろう。だが、荒らしを理由にコメントしないのはいただけない。別に荒らしを肯定するわけではないが、荒らしは無視してコメントしていれば良いだけなのだから、コメントしない理由にはならない。「どう答えていいかわかりません」と言えば良かったのだ。

 そしてこれだけは言いたい。このような状況になった原因はブログ主にあるのだと。2ちゃんねるが原因?とんでもない。自分に原因があると認めないうちは、何度ブログを立ち上げても同じ結果になるだろう。まあ、コメント欄を閉じていればそんな心配は無いが、それじゃあチラシの裏と変わらない。何のために書いてるんだかわからないよねえ、可憐さん。「愛と平和」は遥か遠くになりにけり、だよ。

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2005/12/02

哀しいとき

コメントしたブログでブログ主と会話が成立しなかったとき。


以下は愛と平和:イラク日本人人質事件 - livedoor Blog(ブログ)#commentsに対する自分のコメントの引用。

156. Posted by JET 2005年11月29日 22:17 >私としても反論は大歓迎!なんですけどね。 >よく読んでから書込して下されば…。

コメント又は追加エントリーで補足する、という手もありますよ。可憐さんがどう思っても、私はこのエントリーだけでは残念ながら「それは違う」と言わざるを得ません。もう少し自分の考えを説明してください。

それと、色々な方が何度も書いていますが、もう少し人の話に耳を傾けるべきだと思いますよ。他のエントリーもそうですが、あなたの視点は物事のある一部分だけしか見ていないように思えます。どのような考えを持たれてもそれは御自分の自由ですが、コメント欄を解放し他者との会話を望むのであれば少し努力が足りないのではないでしょうか。

見事に無視された。嗚呼...

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2005/11/23

白燐弾

 既に以下のリンク先で説明され尽くしているが、珍説を述べる輩がいるようだ。

リンク: 謎の超兵器と化した白燐弾 : 週刊オブイェクト.

リンク: 愛・蔵太の気ままな日記.

 何にせよ、事実は事実として知りたい。よく調べずに書いてしまうならまだ良い(良くないけど)が、自分のイデオロギーに沿うように事実を曲げてしまうのは仮にそのイデオロギーがどんなに崇高なものであっても許されない。

 また、愛・蔵太さんの下記視点にはとても共感できる。

 俺のサイトがもっぱら「マスコミ」とか「左寄りの人たち」をネタにしているのは、その人たちの流している情報における「本当のこと(事実)のゆがませ具合」が、ネタとしてあまりにも面白いものが多いからです

 ホントそう思う。付け加えるなら「面白い」の他に「有害」もあるけど。

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表現の匿名性と多様性

 相変わらず面白い論理展開だ。あの先生のこんなエントリー。

リンク: Annex de BENLI: 表現の匿名性の保障と表現の多様性の保障.

 最初の一文がいきなり凄い。

 「表現の匿名性」を保障するメリットがあるとすれば、それは「言いたいことが言いやすくなる」ということくらいしかないでしょう。

 「言いたいことが言いやすくなる」ことを「くらいしかない」と表現できる神経を持つ弁護士が存在するとは。民主主義において、むしろ何を犠牲にしても守られなければならないのが「言いたいことが言える」という権利だと思っていたが。

 したがって、人々に「言いたいことを言わせない」ために「表現の匿名性」がしばしば悪用されている現状は、「表現の匿名性」を保障する趣旨からすれば、いわば本末転倒の状態にあるといえます。

 これも意味がわからない。たぶん、「言いたいことを言わせない」とは「コメントスクラム」のことを指していると思うのだが、それと「表現の匿名性」はどう結びつくのか。

 確かに「匿名」だからコメントし易いということはあるだろう。だが、「匿名だからコメントスクラムが起きる」という仮説は検証するまでも無く間違いだ。「コメントスクラム」が起きる原因は「燃料」と呼ばれるものであり、「匿名」はその燃料を更に燃えやすくする要因のひとつにすぎない。先生の言葉を借りれば「本末転倒」である。

 ここから後ろの文章はネチネチと遠まわしな言い訳と的外れな批判者への攻撃が続く。もう少し要点を簡潔にまとめる癖をつけて欲しい。ある程度以上に「人に読まれる」文章を書こうと思うのだったら。 

 結局先生は未だに炎上の悔しさが忘れられないのだろう。しかし、炎上のきっかけは先生の「燃料投下」にあった。更に先生は「炎上を促進するような行為」を繰り返していた。それを認めない限り先へは進めない。先生の悔しさも晴れることは無い。自分に原因があったことを認めたくない=他の原因を探す=「匿名」が悪いという子供じみた思考回路をまず改めるべきであろう。

 一番の勘違いは「表現の匿名性」によって「表現の多様性」が侵害されている、すなわち「匿名のヤローがいるからボクちゃん言いたいことがいえないじゃん」と思っていることだろう。本当は、先生の「表現の多様性」はきっちり守られているのど同時に、他者の「表現の多様性」も守られているだけのことだ。「匿名」だから卑怯?真摯な議論に応じない方が100倍卑怯だろう。

 議論を目的とせず自分が楽しければよいという野次馬が存在するのも事実。しかし、自分に対する反論全てを「無体な言いがかり」と切って捨てるのは明らかに間違っている。「荒らしはスルー」した上で反論に対して真摯に対応していくことが、先生が具体的に採るべき行動である。Googleで「実名の卑怯者」で検索してトップに来るようでは哀しすぎるから。

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2005/11/20

あるブログへの私信

 コメントだと埋もれてしまうので、エントリーにしてトラックバックしてみる。愛と平和:改めて、2chのことに付けた私のコメントは以下の通り。

32. Posted by JET 2005年11月19日 09:07

可憐さん、おはようございます。

他のエントリーにも言えるのですが、可憐さんの「偏見」は「情報の少なさ及び偏り」にあるのではないでしょうか。もっと色々な物を見て、聞いて、読んで、御自分の感性を育ててください。

あなたの中の「無垢さ(純粋さと幼さの同居)」がこれだけのあなたのファンを集めています。でも、いつまでも子供ではいられませんよ。

 上記コメント以外にも、私は2回ほどTBを送っている。それはたまたま自分の書いた文章の中に関連するものがあったからなのだが、できれば読んでどう思ったのか感想を聞きたい。TBが返ってきたので、目は通していると思うのだが。

 コメント欄を公開したブログなのだから少しはおしゃべりしてもいいだろう。一方的な意見発信の場にするつもりなら、コメント欄を凍結するかブログなど止めてしまえばいい。「愛と平和」を標榜している人とは思えない挑発的な言動ももっと慎むべきである。

 自分の主張を持つことは良い事だ。可憐さんが何を主張しようと私は可憐さんが主張する自由を尊重する。しかし、他人には他人の主張がある。他人の主張を尊重すること、その上で自分と違う主張に対して議論を交わすことはお互いに必要なことだ。とにかく、私はもう少し可憐さんの考えを知りたい。迷惑なら無視して構わないが。

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2005/10/22

先生がまた火ダルマに?

リンク: 音極道茶室: Matimulog:「墨香オンライン」エントリーコメント欄の議論を徹底解説する.
リンク: 幻影随想 別館: 炎上系弁護士小倉秀夫.

 面白い展開。小倉先生には雲隠れせず堂々と議論してもらいたい。匿名に対する感情は抑える必要があるけど。それともまた暫く潜伏期に入るのか?

 また、同感だったのが黒影氏のコメント。

痛い取り巻きがまた頓珍漢な発言を繰り返してオグリンの株を引き落としている。 無能な味方って怖いね。背中を撃たれるんじゃたまらない。
オグリンの主張もさることながら、 それに見合ったレベルの賛同者が二人コバンザメのようにどこにもくっついてくるのには正直笑えた。

私もいつも小倉先生の所を覗く度に思ってた。本人たちはどう思ってるか判らないけど、外から見たら正直痛い。今日は片方がJ2氏のブログでボコボコにされてたし。言ってることが微妙にズレてる感じ。

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2005/09/30

一番粘着質なのは...

 久々に少し書いてみよう。ここ最近の先生はあまりにも突っ走っているので。

リンク: Annex of BENLI: 「いい国」つくる上での障害としての差別思想.

 上記は直近のものだが、これ以外にも小倉先生健在を感じさせる(というか、在りし日の先生が戻ってきた)エントリーがバシバシ飛び出している。実に楽しい。先生はこうでなくては。

 そして、書こうと思ったもうひとつの理由は、昔私が書いた文章が先生の主張と対立するようだからだ。上記エントリーの他、先生はリンク: Annex of BENLI: ○○人であることを誇りに思う人々.やリンク: Annex of BENLI: 続・○○人であることを誇りに思う人々.にて「日本人であることを誇りに思ってはいけない」という主張をされているが、なんと私は過去にリンク: JETの日記: 私は日本を誇りに思う.というエントリーを書いていたのだ。まあ先生は私の拙いブログなど読んでいないとは思うが(今更書くのも変だし)、先に反対意見を述べていた者として言わせて貰いたい。といっても、エントリーの中の引用文を出せば事足りてしまうのだが。

「自分の国に誇りを持っているか」との設問に、「強く持っている」「やや持っている」と答えた日本の高校生はあわせて51%と、米中両国に比べ目立って低かった

 リンクは既に切れているが、新聞記事からの引用である。要するに、アメリカ、中国の高校生は日本人よりももっと自分の国に誇りを持っているのだ。だから、小倉先生の主張が正しければアメリカと中国の高校生はどちらもダメダメということになる。そうじゃないでしょ(アメリカだけだったら先生はそうだって言いそうだけど)。

 自分の国に誇りを持つのはあたり前の事だ。そのあたり前の事ができない高校生が米中に比べて日本には多いということだろう。その誇りが、時によって良い方向に転んだり逆になったりということはある。しかし、誇りを持つということ自体は否定されることではないのである。(逆に誇りを持たないことも私は否定はしない。変だとは思うが。)

 それにしても先生は「粘着系ブロガー」だ。以前ボコボコにされてブログ閉鎖の憂き目に遭ったのをまだ覚えていて、その相手である「ネット右翼」に隙あらば復讐しようとしているのだから。文章の端々にある皮肉めいた表現も、「負け惜しみ」と捉えると哀れだ。哀れだから、皆さん離れていったって気付いてましたか?先生。

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2005/08/09

見てるよー!

 そろそろほとぼりが冷めたと思ったのかな。あの弁護士先生がまた「コメントスクラム」について述べている。

リンク: Annex of BENLI: コメントスクラム再論.

 内容は兎も角、反論してくる人間がいなくなるまで待ってからというのがセコイ。でも先生、見られてるよ絶対。俺みたいな物好きはたくさんいるもん。まあもう相手にしないって人もいるかも知れないけど。

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2005/05/28

匿名で何が悪いのか

 今は匿名論が流行っているそうなので、私も少し考えを述べてみる。もう色々な人が話題にしているので特に目新しいものではないが。

 言うまでも無く私は匿名派である。JETという名前を使ってブログに好きなことを書いている。自分が特定されるようなことはほとんど書いていない。自分が特定されることを望んでもいない。

 自分の日記、とはいってもブログとして公開している以上不特定多数の目に触れるものだ。どんな人間に見られるか判らない。書いた内容から私に対し悪意を持つものがいるかも知れないというのも理由ではあるが、それ以前に個人情報があるというだけでそれを犯罪(を含む私に対する何らかの危害)に利用する輩が存在するからである。同じ理由で、私は電話帳にも自宅の電話番号は載せていない。

 個人情報の取り扱いに気をつけなければならないというのは現在常識になりつつある。個人情報保護法の施行に伴い企業はその使い方に神経質になっている。学校などでは名簿を作らないところも出てきた。要するに、「理由も無しに自分から個人情報を公開するのは大馬鹿野郎」なのである。

 では「ブログを持つことやコメントに記入すること」はその「理由」になるのだろうか?ならないだろう。逆に「理由」になるケースを考えれば明白だ。簡単に言えば、「個人情報を公開した方がメリットがある」又は「公開してもデメリットが無い」人が公開するのである。前者はブログで何らかの商売をしている人、後者は既に社会的知名度がある人である(例;眞鍋かをりさん)。後者には前者の意図が含まれる場合も多いだろう。だから、余暇を利用し趣味で書いている私のような人間は匿名を選択して当然なのだ。

 「自分が匿名でないから相手も匿名であってはならない」というのは自分勝手な思い込みである。そんな理屈に従う必要など無い。逆にブログ主の方針として匿名にしたくないのであれば、何らかの方策を採れば良い(その方策は既にいくつか存在する)。少なくとも「匿名だからその人間の意見は聞く価値が無い」などという不遜なことは、世の中の誰も言えないのである。スーパーやファミリーレストランなどでよく「お客様の声」を募集しているが、記入された紙に個人情報が無いからといって捨ててしまうような経営者がいたらあなたはどう思うか?

 私はこれからもJETという名前のみを使っていく。仮にリアルの私は社会的名声を得ている者だとしても、私はそれを使って議論する気はない。あくまでも、社会的地位や年齢を超えた平等な立場での議論をしたい。だってそれができるのがネットの面白さだろうに。

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2005/05/15

まだやってる

 先生は本当に負けず嫌い。Annex of BENLI: 憲法記念日から始まった一連の憲法議論はAnnex of BENLI: 朝日の世論調査に至っても終わる気配を見せない。素晴らしい。是非このまま頑張って論争を続けて、私のような卑怯系ブロガーを楽しませてほしい。議論の内容よりも、コメントによる突っ込みと先生の反応が面白いので。

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2005/05/10

流れが速すぎてついていけない

 追いつけない。 Annex of BENLI のエントリーがまた今日も更新されている。先生も憲法問題で熱くなっているのか?お得意の匿名論まで持ち出してきている。コメントも結構付いている。この状況では、妻子があり仕事が忙しい時はなかなか追いつけない。

 それでも書かずにいられないので短めに。私の印象は「論点がずれてきている」。以前のエントリー 先生、変わらないね(喜) でも書いたが、事の発端は最初先生が

「60年間も憲法改正がなかった」最大の原因は、憲法改正論者が全面改正にこだわったことにあるわけですし

と書いたことにある。それに対して「最大の責任」は「社会党(当時)などに代表される、憲法を絶対不可侵の聖典か何かと勘違いした人達(=護憲派)にある」という書込みがあり、今に至っている。そしていつの間にか、先生の主張は

「政権与党が憲法改正法案を提出しなかったのが悪い(改憲論者が憲法改正を声高に叫ばなかったのが悪い)」

にすり替わっているのだ。確かに、これは正論である(私が一理ある、と書いたのはこの部分)。たとえどんな障害があろうとも実現できない原因は実行しようとする側にも(全てではないにしろ)ある、という考えは納得できるからだ。

 そこで、今私が聞きたいのは以下の2つである。

1.「60年間も憲法改正がなかった」最大の原因は、憲法改正論者が全面改正にこだわったことにあるわけですし」という主張は取り下げるのか?

2.「60年間も憲法改正がなかった」原因は「政権与党が憲法改正法案を提出しなかったのが悪い(改憲論者が憲法改正を声高に叫ばなかったのが悪い)」だけなのか?JSF氏に代表される意見を含む他の要因は全く無いと考えるのか?

色々な例を出しても話をややこしくするだけなので今回はこんな感じで。でも匿名の私には答えてもらえないかな。

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2005/05/07

時代の空気

 Annex of BENLI: 語ることがタブー視されていたのではない。語られた内容があきれられていたのだのコメント欄にて私のエントリー中の内容が話されていたようなので(魔王様、光栄です)私も一言。但し私はコメント欄に書き込むのがあまり好きではないのでエントリーにて。
 

法令遵守義務を負っている国家公務員が「有事には自衛隊は超法規的行為をとらざるをえない」などということを公言すれば処分を受けるのは当然です。とくに、実力部隊の指揮官が法律に従わないことを公言した場合にこれを解任するのは、シビリアン・コントロールという点からも当然ですね。

 法令を遵守しなければ処分は当然。私の言いたいのはそこじゃなくて、「今の憲法には不備がある」から「今の憲法を改正して不備を正す」にならないのは何故かということである。例えば北朝鮮の戦闘機が攻めてきたときに、今の憲法では自衛隊は国会承認が降りるまで攻撃できない。それでは国民の生命財産を守れないから自衛隊は迎撃を開始する。その行動が現状では法律違反になる。だから法律を変えてくれ、という主張でしょ。要するに今は「シビリアン・コントロール」が出来ない現状だから「シビリアン・コントロール」出来るようにしてくれと言ってるんだ。現実に法令を遵守しなかった訳ではない(それでも処分は妥当だと私も思うが)。でも、結果的には「そういう問題提起をすること」だけが批判され中身は議論されなかった。

柿沢外相の件についていえば、「朝日新聞社からボコボコにたたかれる=タブー」なんですか?としかいいようがないですね。政治家の言説が、それに賛同しない人々により手厳しく批判されるなんて、民主主義社会では当たり前のことだと私は思うのですが。

 それも仰るとおり。先生はわざとなのか天然なのか、ポイントをずらすのが非常に上手い。言いたいのは、「朝鮮半島有事の際には自衛隊はどうしたらよいか」という国民の生命財産を守るためにはあまりにもあたり前な問題提起に対して批判が起こったことである。それも内容ではなく「そういう問題提起をすること」に対する批判だ。

 上記ふたつの例で私は「改憲」を口にすると、その発言の内容に関係なく「改憲」を口にしたこと自体が問題視されるということを示したつもりだ。今の我々の眼で見れば、どちらの例も内容自体はあたり前のものだと思う(反論はあるかも知れないが)。それに対し、内容についての議論はせずに発言者を攻撃し発言そのものを出来なくしてしまうというのは既に民主主義ではない。考え方は違っても、論点を明確にして議論を尽くすべきだろう。

「そのように憲法が改正されれば私たちは今より幸せになれそうだ」と多くの国民に信じさせることができるような案を作成したのに社会党などの護憲勢力が憲法論議自体をタブー視して議論自体をさせてもらえなかったというような状況は歴史的にはなかったようですね。

 1994年11月に読売新聞が発表した「改憲試案」に対しての朝日新聞の社説(「『とにかく改憲』を排する」同年11月23日付)は既にJSF氏が紹介しているので、私は朝日新聞の同年12月3日付朝刊「いまなぜ『改憲試案』三紙記者交え憲法シンポジウム」から。朝日、毎日、読売によるシンポジウムで朝日新聞の小田原敦調査研究室副室長は「憲法の全面改正が必要であるかのような世論形成には乗れない」「現に憲法があり、国民の一般常識があるのに、そこから離れて議論を燃え立たせるようなことはいけない」と述べている。改憲試案の内容ではなく議論そのものを拒否しているとしか思えないが、私だけだろうか?

 前のエントリーで「あたり前の事をあたり前と言えない」時代だったと書いたが、「あたり前の事があたり前だとわからない」時代でもあったのだろう(コメント欄で無七志氏が「国民の皆さんが興味なかっただけ」だと述べていたが、それも正しいと思う)。そこで小倉先生に疑問があるのは、先生の年齢であればその時代から現在までをリアルタイムで経験していて、「時代の空気」を肌で感じているのではないかということだ。であれば、私が挙げたふたつの例からその時代の空気も思い出せるのではないかと思うのだが。それとも先生は「興味なかっただけ」なのか。

 少なくとも、今現在改憲の機運が盛り上がっていることは事実である。「内容があきれられていた」のなら何故そうなるのか?

私は、「今の憲法のここのところをこのように改正してほしい」と積極的に思うことはないのです。

という先生の個人的な考えは勿論認める。でもそう思わない人も多くて、「具体的にここをこう変えたい」と主張する人もいる。その主張が「軍国主義化」などという情報操作(主観を交えた歪曲)をされずに全国民の元へ届くようになったのがつい最近の事なのだ。今ここに至って、「内容が理解され始めた」というのが真相だろう。

 私は本当に疑問に思うのでもう一度書くが、先生は昔と今の空気の違いを本当に感じていないのだろうか。この感覚は右であれ左であれ変わらないと思うのだが。それとも相当のお花畑...いやいやそれならあれほど理性的な(でも冗長でポイントずらし常習だが)エントリー及びコメントは書けないだろうし。うーん。

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2005/05/05

先生、変わらないね(喜)

 小倉秀夫の「IT法のTop Front」 が4月いっぱいで突然終了するということで「ああ、寂しくなるなあ」と思っていたのだが、先生は別ブログ Annex of BENLIでもまた我々を楽しませてくれそうな感じだ。エントリー:Annex of BENLI: 「カサブランカ・ダンディ」ならカラオケボックスでどうぞでも相変わらずな所をこれでもかと見せつけてくれている。
 いやー面白い。先生はひとつ前のエントリーで

「60年間も憲法改正がなかった」最大の原因は、憲法改正論者が全面改正にこだわったことにあるわけですし

と書いておいて、
その主張は間違いです。昔は社会党(当時)などに代表される、憲法を絶対不可侵の聖典か何かと勘違いした人達が大手を振って歩いていました。彼らは憲法改正について、9条以外の改正でも「9条改正に繋がる!」として拒否し、“護憲派”として振舞っていました。最大の責任は彼らです。

というコメントが付いたのに対し、わざわざ
そのような思いこみをされている方はおそらく彼ではないでしょうから、若干反論をさせて頂こうと思います。

と前置きしてから長々といつもの調子で自論を述べている。しかし、この反論、<「60年間も憲法改正がなかった」最大の原因は、憲法改正論者が全面改正にこだわったことにあるわけですし>という主張が間違いだ、という指摘に対する答えにはなっていないのだ。いつもながらの論点ずらしである。
 確かに、60年間憲法改正がなかった原因は「憲法改正反対論者に最大の責任がある」に対し「政権与党が憲法改正法案を提出しなかったのが悪い」という主張は一理ある(同意はしないが)。しかし、前のエントリーで「間違い」だと指摘されたのは<最大の原因は憲法改正論者が全面改正にこだわったことにある>と言い切っていることにあるのではないか。
 だからこそコメントにも<「彼らは憲法改正について、9条以外の改正でも「9条改正に繋がる!」として拒否し、“護憲派”として振舞っていました>とある。「憲法改正論者が全面改正にこだわった」のと「改正反対論者がわずかな改正も拒否した」のどちらが歴史的事実なのか、ここを論じないで相手の主張を<思いこみ>とは言えないだろう。
 もうひとつ言えば、先生は<社会党(当時)などに代表される、憲法を絶対不可侵の聖典か何かと勘違いした人達>イコール社会党だと思っているようだが、それ以外にも朝日新聞や日教組など、そのような思想の団体は沢山ある。自民党内部にもいただろう。一昔前であれば、「改憲」はちょっと口にしただけでもえらい事になった。栗栖弘臣統幕議長は「有事には自衛隊は超法規的行為をとらざるをえない」、すなわち「今の憲法には不備があるんだ」と指摘しただけで解任された。朝鮮半島の緊張が高まり北朝鮮代表者が「ソウルを火の海にする」と発言した際に「集団的自衛権の行使を違憲とする従来の政府の憲法解釈を再検討する必要」を説いた柿沢弘治外務大臣は朝日新聞からボコボコに叩かれた。現在の我々から見れば、「あたり前の事をあたり前と言えない」時代だったのだ。
 「あたり前の事をあたり前と言えない」原因が言えない側にあったのか、それとも言わせない側にあったのか、偏った目で見ていても答えは出ない。先生も一度「匿名」の状態で色々な「匿名」の人の文章を読むといいよ。

 という文章をゆっくり書いてたら、コメント主のJSF氏が再コメントで論破してた。流石魔王様。

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2005/04/28

見てて痛々しい(けどおもしろいからヲチ)

 小倉先生が凄い。小倉秀夫の「IT法のTop Front」:汚れたどぶ川には、清冽なる鮎は住めない.でも先生はまだ頑張ってる。ちょっと前にも書いたけど、ここのところエントリーに取り上げるテーマは全て「俺の方が正しいんだーい」という負けず嫌いのガキの主張ばかりである。もう完全に自分の方が間違ってて本人も薄々それが判っているんだけど、認める前にみんなから責められたから意地になっているという感じ。本人が気付いていない可能性もあるけれど、まさか弁護士になる頭を持っててそれが理解できないことは...無いよね。
 そもそも社会的なコミュニケーション能力とペーパー上の受験学力とは往々にして比例しないものだが、社会に出てそれなりに給料を稼ぐようになれば普通は相応の人付き合いを覚えて大人になっていくものだろう。あれだけ多くの人から判りやすく指摘を受けているにも拘らず、自分は正しいと主張できるその神経が私には理解できない。そしてその言動をヲチするのは凄く面白い。いつもの通り反論は私が書かなくてもコメント欄でお腹一杯だもん。どう見ても論破されまくり。
 こういうことを書く私は卑怯者系ブロガー。でも卑怯者系ブロガーにも物を書く権利はあるでしょ。弁護士なら守ってもらわなきゃ。そんでもって、匿名に反対するならして結構。もし匿名になるならそれで対策を考えるし、そもそも匿名を巡る議論で論破されまくり逃げまくりの先生にはそれを実行するだけの味方が付くとは思えないから。←卑怯ついでの書き殴り。だって私は卑怯者。

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2005/04/17

先生、余程悔しかったんだな

 小倉先生が今日のエントリーでまたも「コメントスクラム」について触れている。リンク: 小倉秀夫の「IT法のTop Front」:コメントスクラムについて.にて、先生はこれまでのツッコミへの反論の他、ヲチを公言している方々を「ストーカー」であると明言している。いつもの通り、負けず嫌いの子供のような文章である
 今回の文章は次のような構成だ。

1.「コメントスクラム」という造語の正当性を「メディアスクラム」の定義を交えて述べる。
2.「コメントスクラム」や「ネット右翼」に対するツッコミに対し「私は最初からそんなこと言ってません」「読む方に問題があるんじゃない」という言い訳を差し込む。
3.ヲチ宣言した方々を「ストーカー」と決めつける。

これらについて細かく書くのは他の人がやるだろうから、私は簡単に感想を。

・先生、悔しいからってずーっとエントリーを続けてるけど、恥の上塗りだから止めときなよ。
・先生、「そんな事知ってたもんねー」もみっともないから止めなよ。
・先生、人の理解力より先に自分の文章力を疑いなよ。
・先生、ヲチャーは確かにある意味ストーカーだけど、blog発信しといて「見られたくない」ってのはおかしいでしょ。

まあ感想だけなんで。先生にだからどうしてくれなんてものはもう無い。聞かないのは判ってるし。ここまで来ると先生にはこのスタンスのまま頑張って頂いて、できるだけ長く楽しませてもらいたいというのが正直な気持ち。

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2005/03/15

なるほど!

 ネット右翼についての自分なりの定義は以前のエントリーネット右翼という言葉に書いたが、一部炎上系の方々がどう考えているのかをJSF氏が的確に表現していた。ちょっとDangerousな記事に挑戦してみな…での

「現実社会で政治と関ろうとしなかったが、ネットで政治的主張(右翼的な言動)を行っている人」
という一節である。ああ、そういう風に見えているんだろうなあ、という感じ。納得。JSF氏は流石。でもそう思っている方々には「上記定義ではあなた方の主張は少し無理がありますよ」というJSF氏の論理は判って頂けないんだろうなあ。
 私は誰でも思った事を思った通りに発言するべきだと思うし、現実では色々な柵があるのだからネットだけでそれをしても構わないと思う。問題なのは、自分の考えを正当化するために事実を曲げることである。右翼も左翼も無い。思い込みを排するためにソースを交え、自分の言説に責任を持って意見を表明し、反論があれば議論する、というだけだと思うのだが。(またいつもと同じ結論になる。だから書くのを止めようと思うのだが書いてしまう。)

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2005/03/09

炎上系ブログではタイマン推奨

 もうメチャクチャだ。ある東大生の一日:ジャイアニズム1において、うに君はとうとう壊れてしまった。そこまでして自分のちっぽけなプライドを守りたいのか。内容には激しい怒りを覚えるが、同時にある種の哀れみも感じてしまう。悔しさからつい思ってもいないことを言って引っ込みがつかなくなる子供のようだ。
 そんなうに君はもう放置するしかないとして、最近感じるのは炎上系ブログでのコメントについてだ。「コメントスクラム(意味的にはラッシュの方が合っていると思うがあえてこう呼ぶ)」という状態になってしまうと良いコメントも埋没してしまうという意見が以前から出されているが、実際それ以外にも論点がずれたり反撃や逃亡の口実を与えたりというマイナス面が見られると思う。確かにコメントを付けたくなる気持ちは判るが、その結果逆に相手と話が出来なくなってしまっては本末転倒だ。そういう場合、どうすれば良いのだろうか。私はタイマンを推奨する。
 今回のうに君のエントリーでははむはむ氏がそのような立場になっていた。小倉先生のブログでも数名の論客がいた。新聞記者を論破したカリー氏もそう。炎上した際にコメント欄でタイマン勝負する土壌は既にあるのだ。だから、そういう状況になったら自分がコメントするのか誰かに任せたほうが良いのかを空気を読んで決めるということを皆が約束事として認識すべきであると思う。その間、言いたいことは自分のブログで書いてトラックバックすれば良い(そういう意味で、私は「コメントするなら自分のブログを持て」という意見を支持してしまう。長々とコメント欄に書かれても...という例が最近多すぎるので)。
 自分が優越感に浸るためだけに、正論に乗っかって相手を非難しまくる輩も確かに存在する。私があまりコメント記入が好きでないのはそれと一緒にされたくないからだ。そしてそのような輩のために、逆に正論が正論として通用しなくなる、という事態は避けたい。タイマンによる冷静な議論。これが行われることを願っている。

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2005/03/06

やっぱり書きたい!

 前言撤回。やっぱり書きたい。東大生と弁護士のブログについて。特に東大生うに。彼は痛すぎる。最早自分のちっぽけな自尊心を保つためだけに記事を書き続けているかのようだ。でも、ほとぼりが冷めたと思ってもウオッチャーは甘くない。冷静な人が去っていったせいか辛辣なコメントが多い。うに君、大丈夫なのか。突然切れてしまったりしないだろうか。それと、うに君は弁護士にシンパシーを感じているようだけど、あの域に達するためにはもうちょっとお勉強が必要。コメントやトラックバックを過去の物も含めて熟読し、今後に役立てて頂きたい。
 それに比べると弁護士はやはり上手い。話題そらしが。でもまた自分の筆が滑って墓穴を掘ってる。悔しかったのはわかるけどもうちょっと冷静に。うに君と違ってあなたは大丈夫。本来の自分のテリトリーの事だけを書いて、エントリー違いの(目障りな)コメントやトラックバックをガンガン削除していれば、少なくとも自尊心が保てないなんて事は起きないだろう。ただ、それで本当にいいのかよ、とは思うが。
 まあでももう少しウオッチは続けていく。ある意味楽しいから。こんな人もいるんだ、という発見の喜びがあるし。
 
 

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2005/03/03

東大生も弁護士も

 ある東大生の一日:第一章~如何にしてブログを流行らせるか?小倉秀夫の「IT法のTop Front」:タイムシフト視聴を見ると、東大生も弁護士も既に行き着くところまで行っちゃったという感じ。もういいや...と言いつつまだ見てるけど。でもコメントしたりトラックバック付けたりする気力は無いな。○○は死ななきゃ直らないんじゃない?

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2005/02/27

厭きた

 結局聞く耳は持たないままなのか。あのブログの最新エントリー小倉秀夫の「IT法のTop Front」:J2氏への回答を読んでの感想である。内容はJ2氏への回答になっているが、コメントを付けた多くの人達が本当に聞きたかったことからは既に大きく離れてしまっている。無意識にか、それとも意識してなのかは判らないが、結果としてこのブログから「コメントスクラム」は無くなっていくだろう。
 「コメントスクラム」の是非はともかく、それが起こるためには相手の反応(「煽り」や「燃料」も含めて)が必要である。特定の人としか議論をしないということは、それ以外の人には反応を示さないということだ。最初の頃ならその主張自体が燃料となったが、皆もうその主張にも厭きてしまった。野次馬気分で集まってきた輩は勿論、誠実なコメントを寄せた方々だっていつまでも優しくしてられる程暇ではないのである。
 もう私も小倉氏に対して何か言う気は無い(元々「コメントスクラム」にも参加していない)。ただ思うのは、「何か言われるのが嫌ならコメント欄は閉鎖してしまえばいい」ということと「IT関係はとりわけ強いとうプロフィールは(それが法律に限ったことであったとしても)誤解を招くので使わないほうが良い」ということだ。朝日とNHKとか言葉の定義とかはもうどうでも良い。私も厭きた。
 但し、小倉氏の名前はネット上で伝説として残っていく。今後似たような事例が起こる度に我々は氏の名前を思い出すのだろう。若しくは氏を反面教師として、ブログ界に炎上は無くなっていくのかも知れない。既に小倉氏や他の炎上ブロガーの例から炎上の起こる過程を冷静に分析している方もいるようだし。

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2005/02/26

帰ってきた東大生

 あの東大生が帰ってきた。そしてある東大生の一日:大ブログ宣言にて長々と謝罪の言葉を述べている。流石に自分に何かまずい所があったという事は認識したようだ。
 ところが、肝心の「何がまずかったのか」については判っていない模様。また、「謝罪」という言葉を使ってはいるが、どうも「言い訳」にしか聞こえない。まあでも書かないよりは100倍もマシ。
 でも書くのならまずカリー氏に対してきちんと返答すべきではないか。未だに正面から向き合えないようでは、実社会に出てもやっていけない。匿名なんだし、年下に謝ったっていいじゃないか。
 それと、「私に対する特定」をずいぶん怖がっているようだが、「多分無理でしょう」なんて煽ってどうするんだか。「そもそも農学部ではない」も逆効果。もうその話題には触れない・乗らないが一番だと思うが。

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2005/02/22

必要なのは謙虚になること

 あのブログでまた燃料投下のようだ。小倉秀夫の「IT法のTop Front」:「組織化」は鍵ではないにてブログ主はまたしても痛い論理を展開している。ブログ主に対する私の考えは以前のエントリー先生の「常識」に書いたし、言葉の定義云々は別の方が話題にされているので、今日は上記痛い論理の中身に少しだけ触れる。

>コメントスクラムの発生の責任を主にblog主の態度に求めることによって自分たちの行動を正当化しようというコメントがだいぶ増えてきているようです(コメント参加者の一つの特徴として、「自己の行動の正当化」に執着するという点があげられます。)。

 この文から、ブログ主は「コメントスクラム」が起きた原因はブログ主には無くコメント参加者にあると考えていることがわかる。自分に非があるかも知れないという考えは事此処に及んでも全く浮かばないらしい。若しくはそのような考えが浮かぶこと自体を「負け」と考えているのではないか。もし仮にそう思っているのなら、社会生活においては改めたほうが良い(このブログ主の場合仕事では必要なのかも知れないが)。

 燃焼には「可燃物」と「酸素」と「火種」が必要である。今回の一連の「炎上」には「コメントスクラム」とブログ主が感じるように「酸素を鞴でバンバン送り込む人」も居たかも知れない。しかし、まず「可燃物」を置き、それに「火種」で火を点けたのは誰か、エントリーを続けて「可燃物」と「酸素」を(結果的に)絶やさないようにしているのは誰かをブログ主は再度考えて欲しい。

 最後に言う。謙虚になることは負けではない。謙虚になれないことが負けなのだ。

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2005/02/20

先生の「常識」

 小倉秀夫の「IT法のTop Front」:まとめコメント(コメントスクラムと「常識」の押し付け)というエントリーが気になったので少し触れておく。前にもこの方について少し書いた事はあるが、きちんとリンクを貼るのは初めてである。また、コメントも今日初めて付けてみた。ただ時間があれば眺めている、そういう立ち位置の人間の感想である。
 この方の論理で致命的なのは、「自分の常識は正しい」という思い込みが前提に有ることだ。勿論、誰も自分ひとりでこのことを証明することはできず、他者及び世間との関わりの中で手探りで作り上げていくものだろう。TVで「今更人には聞けない一般常識テスト」などが流行るのもそこに理由がある。皆自分の常識が本当に正しいかどうかが不安であるし、機会があれば確認してみたいのだ。
 「ひょっとしたら自分の常識は非常識かもしれない」という謙虚さ、これを持ち合わせていることがブログの炎上を防ぐための唯一かつ最善の対策であり、この方にコメントした多くの人達が言いたかったこともそこに尽きるのではないか。今まで私が見てきた限りでは、そのような姿勢は見受けられない。むしろ「自分の常識は正しい」という前提に縛られたままで現状を分析しようとするあまり、泥沼にはまっているように感じられる。
 この方の論理構成には矛盾は無い。殊更に他者を攻撃するような文章の書き方も無い。実名を晒していることや今でもコメント可能な事など、この方個人を攻撃する理由は見当たらない。議論すべきは「常識」という前提条件なのだ。ひょっとしたらコメントした人達や私の常識が間違っているのかも知れない。だから皆自分の考えを表明しているのである。
 但し、個人のブログなのだから自分の好きなように管理することは別に構わない。それはそう宣言すればよいし、今の流れであればそう宣言したと見なされてコメント数は減っていくだろう。自分と同じ考えの人間が周りに集まれば少なくとも不快にはならないし、それもひとつの生き方だと思う。私はそのような生き方は好まないが。

 最後に、左右とか職業とかはこの話には全く関係無いということを付記しておく。以前書いたエントリー ネットでは現実世界の肩書きは通用しないでも同様の趣旨の事を書いたが、その時「逆に意識しているのではないか」という指摘を頂いたので今回職業は一切書かなかった。「相手がblog主の職業・社会的地位等について特殊な感情を有している」から聞く耳を持ちません、という逃げ道を与えることになるからだ。「常識」が重ならない原因を探る上で避けては通れないとも思うが、それはもっと後の話としよう。


*02-20-2005 at 02:43 PMに以前書いたエントリーへのリンクを追加及び一部修正しました。内容に変更はありません。

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ネット右翼という言葉

 ネット右翼という言葉の定義について、私は「信憑性のある情報ソースを基にして間違っていることは間違っていると発言できる人」と考えている。元々この言葉は某巨大掲示板で「サヨ」と呼ばれる方々が自分達と違う考えを持つ人々に対して使ったもので、反論しても勝てない相手への負け惜しみのレッテルというところであろう。
 人が付けたレッテルであるから、勿論本人たちには自分が右翼であるという認識は無い。左から見たら真ん中は右というだけのことで、そもそも思想的な自分の立ち位置など重要視していない。
 特徴的なのは、「サヨ」と呼ばれる方々はイデオロギーを基に議論を行いイデオロギーのためには事実すら曲げてしまうのに対し、「ネット右翼」は事実だけを拠り所にして議論を進める事だ。当然議論が深まり事実関係が明らかになると「サヨ」は論破され、捨て台詞を残して遁走する羽目になる。
 そして、最も重要なのは「事実を曲げる」か「事実を拠り所にする」かの部分なのだ。すなわち、イデオロギー的なものは重要ではなく、「事実ではないことを事実と言い張る」相手に対する憤りが「ネット右翼」出現の原動力であると思われるのである。
 ほんの少し前まで我々はマスメディアから一方的に情報を与えられ、その信憑性について疑うことが無かった。そのような時代には「事実ではないことを事実と言い張る」ようなことがあっても反論はおろか「それはおかしい」と考えることすら出来なかった。仮に考えたとしても、それを調査することも発言する場を持つことも簡単ではなかった。そのような時代には先にイデオロギー有りきの集団で行動する輩に力があったのも無理は無かった。特定のイデオロギーを持つ集団の恣意的な情報操作に対して我々は無防備だったのである。
 しかし現在状況は変わり、誰もが調査能力と発言の場を持てるようになった。情報の交換も容易になった。だから「ネット右翼」が増えたのである。言い換えれば、彼らは既に存在していた。それがテクノロジーによって顕在化したのである。
 勿論、「ネット右翼」の中にも相手をやり込めることだけが目的になってしまった人や口汚く相手を罵る人、自分のイデオロギーのために事実を曲げてしまう本末転倒な人などは存在する。しかし、だからこそ大切なのは事実である。「サヨ」だって事実関係に基づいた真っ当な反論を堂々とすれば良い。それが正しければ受け入れられ、間違っていれば非難されるだけだ。それはオーディエンスが判断してくれる。
 そのような状態は実は至極正常な状態でもある。正しいものは正しく間違いは間違いだというあたり前だけど現実とは違う世界がネット上に構築されつつあるということだ。我々は本当の事が知りたい。「ネット右翼」でも「サヨ」でも何でも良いが、大切なのはイデオロギーで目を曇らせることなく「本当はどうなのか」を考えることであろう。

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2005/02/13

今度は東大生

 昨日ブログの炎上について書いた後、別な事件が起きていた事を知った。(乗り遅れた...)

東京大学を心配するブログ

 「ある東大生の一日」という嫌味なタイトルのブログにて、管理人が高校生ブロガーにたった3つのコメントでボコボコにされてロクな答えを返せず他のコメントも殺到したというものだ。タイトル通りに人を見下したコメントも良い燃料になったようである。たぶんこの東大生はこの高校生=カリー氏や「魔王」JSF氏を知らなかったことから、ネットでの論戦そのものが素人だったのではないかと推測される。また、この前炎上した記者さんや弁護士さんと同様に、相手(コメントしてくる方々)の話を聞かない、プライドが邪魔して聞けない、聞いて理解する能力が無い、と見える。
 昨日に続いてもう一度書きたい。ネット上での対話に必要なのは肩書きでなく本人の実力である。年齢、学歴、職業などは全く関係ない。この東大生氏は、自分から学歴を取り除いた時に何が残るかを考えたことがあるのだろうか。東大に行くことは確かに難しい。しかし東大に行ったからといって何でも出来るわけではない。今の東大生氏はカリー氏の足元にも及ばない。勘違いしている自分を見つめ直し、再出発された方が良いだろう。

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2005/02/12

ネットでは現実世界の肩書きは通用しない

 私は政治ネタを扱うブログが好きで、色々な所を覗いている。今のところ完全にROMに徹していて、コメントを付けたりする事は無い。見始めてからそれなりの時間が経っているので自分なりの考え方のようなものは固まりつつはあるのだが、積極的にそれを表明し人の意見に賛成や反対するまでの意欲は無かったのである。しかし、自分のブログを持った以上、日々のつぶやきの中でそのような内容も出していくことになるだろう。但し、「積極的にそれを表明し人の意見に賛成や反対するまでの意欲」を持たないような人の視点を忘れないようにしたい。
 そのような政治ネタの中で私がつくづく感じるのは「ネットにおいては現実世界の肩書きは通用しない」ということである。何を今さら、という言葉であるが、実はその事を理解していない輩がネットにはまだまだ多いのではないだろうか。
 最近、新聞記者のブログが叩かれた後に本人が逃走したり、弁護士のブログが炎上したりという事件(?)があった。内容の是非はともかく、新聞記者(2名)や弁護士に共通しているのは「相手の話を聞かない」ということである。本人達には色々考えがあるのかも知れないが、少なくとも私からはそうとしか見えない。コメント欄には実に懇切丁寧な、これ以上無い位の親切な書込みが多々あるにも関わらず、それらはスルーするか本質には関係無い部分で反論するかしかしない。これでは炎上するのも当然である。
 ネットでは現実世界の肩書きは通用しない。どんなに社会的地位がある人でも、どんなに稼いでいる人でも、どんなに過去に名声がある人でも、ネット上での対話には関係ないのである。必要なのは相手を、そしてオーディエンスを納得させる力であり、それを補うための知性と証拠である。自分では違うと思っていても、その新聞記者も弁護士も立場から来る驕りが滲み出ている。それが自分達の目を曇らせ、果ては何処の馬の骨とも判らない輩に完膚なきまでに論破されるという憂き目に逢ってしまっているのが今の状況ではないか。
 現実社会なら少々反論されても肩書きを示せば相手の態度が変わるんだろう。でもネットではそうはいかない。ふーん、だから何?でお終いである。それよりも物を言うのは本当の自分の力である。ネットはその意味で真に公平な世界だ。相手を論破するなら肩書きではなく自分の力で捻じ伏せれば良い。オーディエンスは説得力のある方の味方に付く。それが出来ないからといって、肩書きが通用しないからといって、逃げたりスルーしたりするのはみっともない。
 更に言えば、今後現実世界にもこのような流れが広がっていくのではないか。昔なら年長者の言う事は絶対だった。教育の面で言えばそういうことが必要な時もあるだろう。しかし、二十歳を過ぎた立派な大人に対して、仕事や生活において不当な理由で理不尽な我慢を強いられる事がこれまで多かったのではないだろうか。それに対して、「何故」とか「おかしい」または「こうしたらどうか」という反応は至極当然だし、今までそういうことが出来なかったことの方が異常なのだ。例えば年長者は敬う必要がある。しかし、意見を戦わせる時に「相手が年長者だから自分の意見を引っ込める」ではおかしいだろう。それとこれとは別、である(決着が着かないときに年長者を立てることは勿論ある)。今ネットにあるこの潮流がもっと現実世界にも波及し、正論が正論として普通に通用する世の中になることを切に願う。

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