2008/06/14

 日テレG+にて生中継されたものを見ました。

タッグマッチ30分1本勝負 小橋建太 & KENTA VS 佐々木健介 & 中嶋勝彦

 確信しました。中嶋は、プロレス界の宝です。

 小橋建太と佐々木健介、シングルのメインで東京ドームを沸かせたビッグネームの二人が脇役になってしまいました。明らかに、中嶋とKENTAの戦いが主役でした。それも、強引に持っていってしまったのです。若い二人が。

 中嶋は、あのキャリアであの年齢で、素晴らしすぎます。折れない心、鍛えた肉体、溢れるスタミナ...終盤に来てのあの動き。蹴りのスピードも全く衰えず、ジャーマンも完璧に決める。脅威です。

 更に素晴らしいのが試合後。しっかりと握手をする小橋と佐々木の横で、KENTAから手を差し出されて中嶋は・・・行った!

 最近のプロレス界は、中途半端にダラダラやってナアナアに握手する展開が多くて面白くありませんでした。小橋と佐々木ならわかるんですが、若い選手はやっぱり「負けたくない」「オマエには負けない」という気持ちを前面に押し出して欲しい。中嶋はそれができる。だから素晴らしいのです。

 個人的な意見ですが、やはり私がプロレスに求めるのは「気持ち」です。悔しいのに、変な握手なんてして欲しくない。プロレスは、スポーツライクなだけでは魅力がありません。気持ちが見たくて、生き様が見たくて、人はチケットを買うんだと思うんです。アントニオ猪木は、そうでした。だから、あれだけの求心力があったんでしょう。中嶋も、試合の時には「必要なら親でも蹴り殺す」ぐらいの気迫があります。前にも書きましたが、本当に「銭の取れる」選手です。

 ああ、この気持ちを誰かに伝えたい。そう思って、この文章を書きました。とにかく、一人でも多くの人に、中嶋の試合を見てもらいたい。見れば、絶対に引き込まれる筈です。彼は、スーパースターになれる素養を持っています。彼が、プロレス界をもう一度押し上げることができるとさえ思います。まずはニコニコでも、You Tubeでも、TVでも、スカパーでも何でもいい。とにかく彼の試合を見て欲しい。真剣な気持ちです。

 あとは、付け足しみたいで悪いんですが、KENTAも素晴らしかった。彼がいれば、NOAHは大丈夫でしょう。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/06/24

HIROYAより中嶋勝彦

リンク: スポーツナビ | ニュース | 15歳のK-1戦士・HIROYAの対戦相手は18歳のオランダ人=K-1アムステルダム.

 現地時間6月23日にオランダで開催される「K-1 WORLD GP2007 IN AMSTERDAM」に出場する15歳のK-1ファイター、HIROYAの対戦相手が18歳のオランダ人ファイター、ロイ・タンに決定した。

 ロイ・タンは名門メジロジム所属で、これまで2戦2勝と負けなしの期待の新人。HIROYAにとっては初の強豪外国人選手との対戦になる。タイ修行に出発して約2カ月、どんな成長した姿を見せてくれるのか。

 見ました、この試合。物凄い脱力感に襲われながら。嗚呼、何故K-1の日本人選手は皆「作られた」ようなイメージがつきまとうのでしょう。

 武蔵もそうでしたが、何故かHIROYA選手はそのポジションが「与えられた」ものに見えます。「戦って勝ち取った」という感じがなくて、「規定路線に乗って」いるように見えるんです。「日本人のスターを作る」ことは興行として確かに必要なことですが、あまりにも鼻に付くのはいかがなものかと。どうも日本のTV局というのは、そのあたりの微妙な日本人心理が判ってないように思います。

 そして浮かんだのは、「中嶋勝彦」という名前でした。たぶん一般的な知名度はほとんど無いであろう若きプロレスラー。その略歴は以下を参照してください。

リンク: 中嶋勝彦 - Wikipedia.

5歳から母子家庭で育っている。

小学校3年生より空手を始め、中学生の頃には高校生クラスの大会で優勝を収める実力を身につけた。

この頃前田日明の目に留まり、卒業後のリングス入団を約束されるが、それを待たずにリングスは解散してしまう。

2002年12月、長州力率いるWJプロレスにスカウトされ入団。

2003年9月、WJの興行X-1に参戦、金網バーリトゥード戦で勝利する。

2004年1月、後楽園ホールにてプロレスデビュー。このとき15歳9ヵ月。

2004年3月、WJ崩壊に伴い、退団。同じくWJを離れた佐々木健介に弟子入りを直訴。

2004年4月、北斗晶が身元を預かる形で健介office所属となり、佐々木家への居候生活が始まる。以後は健介ファミリーの「息子」というギミックも得て、健介の付き人をこなしつつ、各団体へ参戦するようになる。試合を重ねるにつれ個人の評価も上がり、単独参戦も見受けられるようになってきた。

2004年6月19日、みちのくプロレス札幌大会に参戦し、キャリア半年にてザ・グレート・サスケをシングルマッチで破るという驚異的な戦果を挙げる。

2005年12月、健介officeの法人化に伴い正式に健介office所属となり、道場長に就任。

2006年2月11日の健介office初の自主興行・佐々木健介デビュー20周年記念興行にて天龍源一郎と組み、健介・小橋建太組とタッグマッチで対戦。結果は健介のラリアットからの片エビ固めでフォール負けとなるものの、試合開始直後のR-15や健介のお株を奪うノーザンライトボムを放ち、健介・小橋組の猛攻に長い時間耐えきるなど、次世代のエースとなるであろう器の片鱗を見せた。

2004年度のプロレス大賞・新人賞を受賞。2005年度は敢闘賞を受賞。

2006年より定時制高校に進学。

2007年2月11日、健介オフィス旗揚げ興行「Take The Dream vol.1 ~夢を掴め~」のメインでシングルマッチで佐々木健介と対決。

2007年2月17日には近藤修司を破り、世界ジュニアヘビー級王座を獲得。18歳11ヶ月は同王座最年少獲得記録となった。

 デビュー当時、彼は小さくて線も細く、「長州のバックアップでやらせてもらってるんだな」という印象しかありませんでした。でも、それは間違いでした。

 WJという団体が崩壊し行く場所が無くなった彼は、「佐々木健介」の所へ身を寄せます。「鬼嫁の旦那」で知られている佐々木選手は実は物凄く自分にも他人にも厳しい人で、でも中嶋選手はその指導によりメキメキと成長していくのです。そして彼の年齢やキャラ、実際に母子家庭であることも含めて、彼等二人は「父親と息子」的な見方をされていきます。

 そして、いつの間にか彼は同じ頃にデビューした選手たち(同じ歳、だとまだいないのです)の間でトップになっていました。プロレスはK-1と違って、判定やラッキーな勝ちはありません。試合の勝ち負けも超越した「こいつの方が上」というある種の人間力の比べ合いという側面があります。中嶋選手はその点ズバ抜けていますが、それは佐々木選手の指導によるものでしょう。

 「006年2月11日の健介office初の自主興行・佐々木健介デビュー20周年記念興行にて天龍源一郎と組み、健介・小橋建太組とタッグマッチで対戦」...佐々木健介、小橋健太と言えばその時点の日本プロレス界でもトップ中のトップ(パートナーの天龍もそう)。その試合の開始直前、父親と慕う男を目の前にした彼の目は明らかに「この男を叩きのめす」という覚悟の目でした。当然佐々木選手にも手加減はありません。

 写真だけでもいいから、その「試合直前の中嶋選手の目」を多くの人に見てもらいたいと思います。それで「銭が取れ」ます。それぐらいの「覚悟」の視線なのです。日本人はこういうストーリーに弱い...それは今の若者だって同じでしょう。そして、そのストーリーに耐える「実力」を中嶋選手は備えています。

 HIROYA選手は最初に睨み合うことなく背を向けました。これから戦う相手から視線を外しただけでなく背中まで見せる...いきなり後ろから襲われたらどうするのか。K-1のルールではそれは無い...スポーツですかそうですか。判定で大喜びですかそうですか。プロレスはケツが決まってる?そんな小さなことじゃなく、人間力を見せてくれってんですよ。

 今は若い世代のアスリートに注目が集まってます。その中に、是非中嶋選手を加えて欲しい。TVのゴールデンタイムで...HIROYA選手の試合なんか放送するんだったら...と思った日曜の夜でした。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007/06/17

新日本対全日本

 偶然YouTubeで見つけました。「新日本対全日本 1990.2.10 天龍源一郎・三沢タイガー対長州力・ジョージ高野」という動画(貼り方判らないのでリンク無しです)。明らかにTV放送用に撮影された画像だと思うのですが、確かこの試合は契約上放送できなかったと思います。だから、この動画を見るのは初めてでした。

 でも、試合は鮮明に覚えています。行きましたもん、東京ドーム。友達大勢と、ドームの一番安い席で見ましたから。

 週刊プロレス増刊で「奇跡爆発」と書かれたこの興行は、最初から最後まで盛り上がりっぱなしでした。最初は、「ザ・グレート・ムタVSリック・フレアー」をNWAから直輸入する筈だったんですよね。で、NWAと言えば全日本だったので、坂口社長(当時)が馬場さんに筋を通してカード発表済みだったと。ところが、フレアーが来日不能になって、困った坂口社長が馬場さんに相談、急転直下でジャンボ鶴田、天龍、谷津、スタン・ハンセン等の出場が決定するという、正に涙モノの展開でした。その後もカード決定までの紆余曲折・・・長州と天龍がお互いのパートナーを(それぞれの団体内でのチーム編成を無視して)変えたり、といった駆け引きもありましたし。

 当日も、まさかのマサ斉藤AWA戴冠、ハンセンとベイダーの「もう止めてくれ」というド迫力対決(試合順は忘れてます)を経てジャンボ・谷津組の入場。「Jのテーマ」で一体となる観客。後のインタビューでジャンボは「ブーイングが来るかと思った」と話してましたが、あの日の観客は皆「ついにこの日が来た」という幸福感で一杯で、その象徴が「Jのテーマ」だったのです。新日本の会場で、「Jのテーマ」で「ツルタ」コールができる幸せ...正直、天龍にはここまでの「あり得ない」感はありません。ジャンボだからこそ、の感覚でした。長州と天龍の当日までのやり取りも、「何もしないとジャンボに持っていかれる」という危機感の裏返しだったのかも知れません。

 相手の木村・木戸組も良い仕事をしました。そして長州組VS天龍組です。観客全員が、両チームに声援を送る幸せな空間。しつこいですが、あの時の6万5千人の観客は、本当に幸せでした。

 メインは猪木・坂口組VS橋本・蝶野組、あの「時は来た」の試合です。そして、「時は来た」という言葉は我々には「プロレスファンが待ち望んだ」という冠が付いているように思えたのです。試合は猪木組の勝利。猪木の「イチニーサンでダーです」という静かな説明に会場全体が「大丈夫かよ...」とどよめき、でもやってみたら「ダー!」でこれ以上無い一体感が得られたという、これまた幸せな締め。余韻に浸るプロレスファンたちは水道橋のあちこちで選手の名前をコール、その声は夜明けまで止みませんでした。

 それと、橋本のセコンドに付いたライガー。東京ドームの端から見ると、まるで子供がヨチヨチ付いていくかのような小ささ。笑ってしまいそうだけど、でもライガーがそこで橋本のセコンドに付く意味を知っているから、またこのような交流の礎となっていることも知っているから、皆ライガーにも声援を送りました。前のエントリーで山本小鉄さんのことを書きましたが、ライガーもある意味「ミスター新日本」。水道橋で聞かれた選手のコールで最も多かったのは、実はライガーかも知れません。

 あの幸せな日があって、私は今でもプロレスファンです。でも、あの日を超える幸せには出会っていません。あんな夢をまた見せて欲しい、というのは贅沢なのでしょうか。小さく細かくなっていくばかりのプロレス界、もう少しファンのことも考えて欲しいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/04/29

ファンタジーを支えるのはリアリズム

リンク: Sankei Web 社会 「打ち合わせないプロレス、許されず」大仁田さんに賠償命令(04/28 21:40).

「打ち合わせないプロレス、許されず」大仁田さんに賠償命令


 プロレスの場外乱闘で顔面をけられて大けがをしたなどとして、プロレスラーのセッド・ジニアスさん(39)=本名・渡辺幸正=が、参院議員でプロレスラーの大仁田厚さん(48)らに1500万円の損害賠償を求めた訴訟で、東京地裁の野村高弘裁判官は28日、「顔面を力任せにけるのはプロレスではない」と述べ、大仁田さんらに78万円の支払いを命じた。

 判決によると、渡辺さんは平成15年4月、大仁田さんらとのタッグマッチを開催。試合終了後、大仁田さんに対し、事前の打ち合わせのない場外乱闘を挑もうとした渡辺さんを、大仁田さんのセコンドが押し倒して顔面をけった。

 野村裁判官は「プロレスでは、打ち合わせなしに相手を攻撃するのは許されないこと」と指摘。セコンドが渡辺さんを押し倒したことは「やむを得ない行為」と判断したが、力任せに顔面をけることまでは「正当化する根拠がない」と述べた。その上で、「大仁田さんはセコンドの監督権限があり、使用者責任を負う」とした。

 プロレスに打合せがあろうとなかろうと、プロレスが素晴らしい事に変わりは無い。私はプロレスから多くのものを貰ったし、今後もプロレスを捨てることは無い。

 ただ哀しいのは、このニュースの当事者がプロレスを代表していると思われてしまうことだ。大仁田氏は一般への知名度は高いが、対戦相手はプロレス週刊誌にも殆ど無視されるようなレスラー。この対戦も、業界の片隅でひっそりと行われたものだという印象である。

 また、暴行したセコンドは元プロレスラーの中牧昭二氏らしい。新聞によっては「元プロレスラー」ではなく「巨人桑田の暴露本を書いた人」で紹介しているぐらいだから、プロレスラーとしてどうかは推測できるだろう。こういった人物たちが起こしたゴタゴタでプロレス全体にマイナスの影響が出るかもしれないと思うと、哀しくなってしまうのだ。

 昔夢枕獏さんはインタビューの中で「ファンタジーを支えるのはリアリズム」という発言をされていた。アントニオ猪木を評しての事だったと思うが、確か「誰が一番強いかというのはファンタジー」であり「猪木はそれを凄まじいエネルギーによるリアリズムで実現していた」というような主旨である。すなわち、プロレスに「リアル」は必要無いが「リアリズム」は必要であり、それは鍛え上げられた肉体によって表現されるのだ。それが見えない輩にプロレスを汚されたくはない。プロレスは幅の広いものであり、彼らのしていることもプロレスの一部だとは思うが。


*やっぱり猪木が世界一、と思う人は人気blogランキングへのクリックをお願いします。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/03/03

前田日明は「作品」を残していない

 知らない人には全く判らないプロレスネタをひとつ。


 今週の週刊プロレスに載っていた、ビッグマウスラウド2・26徳島大会の記事。ビッグマウスラウドに対して前田&船木が決別宣言したという。前田らしいといえば前田らしい、あっけない幕切れ。

 「いまのプロレスから一歩も出られなかったビックマウスラウドに対して、そうとうガッカリしました」と、そのビッグマウスラウドの興行中に言ってしまう前田。ある意味純粋で、そのためにいつも破綻を招いてしまう前田。だからこそ目が離せない前田。

 村上・エンセン組VS永田・飯塚組の試合後に永田が言った「ダメなんだと否定はするけどなにも創り上げない人たち」というフレーズはそんな前田を的確に表現していると思う。そう、前田はこれまで「なにも創り上げ」ていない。本当の意味での名勝負を、彼は新日本、新旧UWF、リングスにおいて残していない。

 武藤敬司が言うところの「作品」を彼は何一つ残していない。トップレスラーであれば、その「作品」はファンに記憶されている。武藤だけでなく馬場、猪木、鶴田、藤波、長州、天龍、橋本、蝶野、三沢、川田、田上、小橋...皆それぞれいくつもの「作品」を残している。

 前田日明にはそれが無い。第1回IWGPでの猪木戦、綱引きで決まった長州戦は対戦相手がコントロールした試合。旧UWFでの佐山戦はスキャンダラスなだけ。新日本に戻ってからの藤波戦、ニールセン戦、自主興行での藤原戦、新生UWFでの一連の試合、リングスに移ってから、全て「名勝負」とは言えない。

 ハッキリ言って、私は前田が大好きだ。UWFは全てビデオで持っていたし、所属した団体それぞれの興行で前田コールも叫んだ。でも、前田の試合は面白いと思ったことが無い。前田は試合ではなく、その存在と生き様を評価されるプロレスラーだったのである。

 これまで「なにも創り上げ」ていないんだから、これからなにかを創り上げられる筈はない。そういう意味で、永田は認識を間違えている。「創り上げない」ではなく「創れない」のだ。更に言えば、「創る必要がない」とも言える。ただそこに居ればいい存在なのだから。

 悲しいことに、永田にはそのような存在感は無い。彼は試合で魅せていかなければならない。そのようなスタートラインの違いはファンには関係ないから、前田信者は前田信者だし、永田は塩というレッテルを貼られることもある。それはしょうがない。

 ビッグマウスラウドは初めから前田と交わってはいけなかった。又は喧嘩を売るべきだった。いや、今からでも売るべきだ、もう交わってしまったのだから。村上と柴田はそうしなければ、これから吐く全ての言葉に説得力が無くなってしまう。永田は...今まで通りで適当にやっててくれ。


*前田は昔「聖戦士ダンバイン」の主題歌のイントロで入場してたなあという思い出話に心を動かされた人は人気blogランキングへのクリックをお願いします。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2006/02/11

カート・アングルはWWE成長の立役者か?

 今日何気なくスカパーを見ていたら、昔の新日本プロレスを放送していた。何とカードは「マサ斉藤、北尾光司組VSクラッシャー・バンバン・ビガロ、パニッシャー・ダイス・モーガン組」。モーガンって、ジ・アンダーテイカーだよ。新日本に来たのは知ってるし多分この放送もリアルタイムで見てるんだろうけど、こんなカード記憶に無い。

 この放送では、モーガンは不器用さ丸出し。放送によるとデビュー2戦目の北尾と交わるとバタバタ感で一杯。最後はマサ斉藤のバックドロップでピンフォール負け。「体格は良いが不器用なガイジン」そのものだった。それが何年か後にはWWF(現:WWE)のトップレスラーになるからプロレスは面白い。

 てなことを考えていて、今週の週刊プロレスの記事を思い出した。直接アンダーテイカーには関係ないのだが、カート・アングルVSマーク・ヘンリーのレポート中の以下の一節である。

 いわゆるアテテュード(原文ママ)路線の時代にWWEは高度成長を遂げた。その立役者をあげろと言われたら、ほとんどの票がストーンコールド、ロック、HHH、そしてカート・アングルの4人に集まるはず。

 (中略)気がつけば、あの頃の匂いを思い起こさせる対象はカートひとりとなった。だからだろうか、勇ましいテーマ曲のイントロが聴こえると、今でも他の3人と闘う姿が浮かぶのだ。

 私はこの文章に違和感が有る。そうじゃないだろう。それは現在の4人のステータスから見る評価だ。一視聴者としてその時期に見ていた人は、そんな評価を下さない。

 その違和感はカートにある。私にはWWEが成長する過程でのストーンコールドとカートの絡みは思い浮かばない。確かカートが来る前にストーンコールドは怪我により長期欠場したからだ(更に、復帰後のストーンコールドはストーンコールドではないと私は個人的に思っている)。よって、本当の意味でWWEが高度成長する期間には、カートはギリギリ間に合ったぐらいという印象なのだ(成長はその後も続いたかも知れないが、「加速し始める」という意味に捉えて頂きたい)。

 私ならストーンコールド、ロック、HHH、ミック・フォーリー、ケイン、ビッグショーそしてアンダーテイカーを挙げるだろう。Xパック、ニュー・エイジ・アウトローズ(タッグチームチャンピオンオブザワ~ルド)、ケン・シャムロック、ホーリーズ、アコライツ、ハーディーボーイズ、エッジ&クリスチャン、ボスマン、バル・ビーナス、JRとキング、マクマホン一家...他にも挙げたらキリがない。クリス・ジェリコ、クリス・ベノワ、故エディ・ゲレロなんかを入れると更に増えてしまう。そしてその当時のカートの印象は「嫌味なヒール」だ。まあマークヘンリーは更に「色物」だったが(あのテーマ曲は何?という感じで)。

 カートは素晴らしいレスラーだ。だけど、当時の印象で考えれば「四天王」は認められない。アンダーテイカーは別格としてもミックだろう。まあ記憶で書いてるから間違えてるかも知れないけど、私の印象はそうだよ。


 と書いてから記事の署名を見たら、やっぱり鈴木...


*「そんなことグチグチ書いてんじゃねえよ」と思う人も思わない人も宜しければ人気blogランキングへのクリックをお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)